日本でクリスマスを祝うようになったのはいつ頃からなのかしら?
一番最初の思い出は、3歳ぐらいのとき、朝起きたら姉と私の枕元に大きなお人形があったこと、もう一回は空気を入れて膨らますと私の背丈ぐらいになる大きなゴム製の「象」をもらったこと。
幼稚園から高校までずっとカトリックの中で育ってきた者にとって、新調した服でおめかしをしてミサに行く・・・というのが自然な「クリスマス」でした。
新調の服が「プレゼント」のような物であって、何か欲しいものを期待するということはなかったように記憶しています。
却って、大人なってからのほうが「プレゼント」を期待したり、美味しいものを食べたりシャンパンやワインを飲んだりとお祭り気分を楽しむようになっていきました・・・
クリスマスって何なんだろう?
この日がキリストの誕生日という史実はないし・・・(教会ではあくまでも「誕生日」としていますが)
サンタクロースはセントニクラウスの物語だし・・・
新年を祝うようなものとか、収穫を祝う日本の祭のようなものという説も・・・
でも、この日は世界中でキリスト教徒もそうでない人も「クリスマス」を祝い、楽しんでいる・・・
食生活が豊かになった現在、特にこの日に限ってご馳走を食べられるわけでもない。(バレンタインデーとか子供の日とかプレゼントをもらえる日、イベントはどんどん増えています。)
街中にイルミネーションが光り、サンタの格好をしたおねえさん達がケーキやチキンを売っていて、テレビではクリスマス・ソングがなり続けて・・・(なぜチキンなの??)
競うようにイルミネーションでキラキラ、チカチカ飾り付けている家々・・・
先日は神社にクリスマス・ケーキが納められたニュースもあったし・・・
真面目に考えると訳がわからなくなります。
商業主義に乗っかっているとも思うけれど、とにかく「楽しむ」クリスマス。
ひょっとしたら若い人や子供にとってはお正月よりクリスマスの方が重要なイベントなのかもしれません。
(どこかの会社の調査ではクリスマスに関心がある人は40%足らずだったという結果もあり、街やテレビでみるお祭騒ぎは一部にすぎないかもしれません。)
昨日は教会に行ってクリスマスのミサに参列。
イブの夜には2回、ミサが行われます。私が参列した一回目のミサには約500人あまりの参列者。 昔のようにこの日のためにと着飾っている信徒も見受けられません。
新築なった聖堂には十字架が天井からぶら下がっているだけで、以前の教会のようにキリストの像も「十字架の道行き」の絵もありません。 近代的な無味乾燥とした聖堂の祭壇の元に幼子イエズス・キリストと聖母マリア、聖ヨゼフの置物、そしてクリスマスツリーとポインセチアが飾られているだけ。
(子供達が作ったと思われるざくざく縫いの素っ頓狂なぬいぐるみ達がツリーのオーナメント!)
カトリック教会も時代とともに変わりつつあることを実感します。建物や像ではなく各自の「心の中」に神を見よということなのでしょう。
昨日のミサでは「憎しみの連鎖を止めること」、「信じることが希望をもたらす」という神父様の説教の言葉が心に残りました。
クリスマス、いわれはともかくとして、せめて年に一度この日だけでも「ありがとう」を言葉にして、世界中で苦しみの中にいる人々を心にとめ、一つでも少しでも「希望」と「笑顔」が生まれるよう願い、できれば手を差し伸べ、心静かにすごす日に位置づけたいと思います。
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2 件のコメント:
ミサに行かれたのですね。教会の様子を想像しながら拝見しました。
毎年クリスマスの時期になると、なぜか、アフリカや他の国の子供たちのことを思うのです。クリスマスというものを知っているのかな…食べるものはあるかな…何か楽しみはあるかな…と。
Do they know it's Christmas time at all …
この歌詞がいつまでも心に残ってるからかな。
eleanorさんのブログを拝見していて、またこの曲のことを思い出しました。
世界的にみたら一生、クリスマスとは無縁の人のほうが多いかもしれませんね。
貧困や紛争や病気の人々を常に心に留めておけなくても、こういう日にだけでもほんのちょっとした寄付とかボランティアとかさせていただければ・・・あるいは、道ですれちがった人と笑顔を交わせたら・・・なんて思います。
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