毎週土曜日の日経夕刊「こころのページ」は必ず目を通しています。
昨日は在日コリアン作家のヤン・ソギル氏が語っていました。氏の作品は読んだことがなく、どんな作品を書くのかわかりません。 しかし、昨日のコラムを読んでいて日頃私の心にひっかかっていたことが「言葉」として綴られていたのでこの記事を記憶に留めておきたいと思います。
在日コリアンとして生まれ、定時制高校卒業後、さまざまな職業を経験、借金に追われる生活が続くも悲観的にならなかったと・・・そしてヘンリー・ミラーの「南回帰線」との出会いが彼を作家への道に向かわせる転機になったとのこと。
・ 結局どんな体験だって自分が責任を持つしかない
人は他人の人生を生きることは絶対できない
私は私の人生を生き抜くしかない
・ 人は人生で問題を抱え込んだり失敗したり、先が見えなくなることがある。
それが何か、人によって違う。一人ひとりの人生が違うんだから。
ですけど、そういうことすべてをひっくるめて、たとえそれが他人による結果で
あったとしても、自分が引き受けて前へ進むしかないんですね。
そう語るヤン・ソギル氏。
当たり前のことなのに、日常生活を送る中でそう考えるのが難しいことでもあります。
世にあふれる失業者、就活に明け暮れる学生達、何をしたらよいかわからないで悩むニート、リストラに不安を抱える会社員、借金に苦しむ人、不治の病に苦しむ人、いわれなきいじめに苦しむ子供(大人も)・・・先が見えず苦しんでいる人達や常に怒りや不満を抱える現代人、悲嘆の末に自ら命を絶つ人。
不安や不満、苦しみをしっかり自分の中に受け止める覚悟ができれば自分の人生を生き切ることができるのではないか。それこそが人生というもの。他人の人生と比べるものではない。
どこから飛んでくるか、誰が狙われるかわからない「ドッジボール」・・・そのボールをしっかりと胸で受け止め、投げ返し、前に進む・・・
被災者の方々や世界中で苦しんでいる人々に今、この言葉を向けるのは酷だと思いますし、そんなに簡単にいかないのが人間というものでしょう。しかし、私を含め多くの人々が考え方をちょっと変えてみたら自分の人生をしっかりと生きていけるのではないかなという期待もあります。
マスコミや政治家をはじめとして多くの日本人が不平不満、怒りの矛先を誰かの所為にしたがり、スケープゴートを作りたがり、自分だけを是としたがっているような気がしています。
氏の言葉をかみ締めて自分も悩みをしっかりと受け止めて生きていきたい、それと同時に難しいことではありますが自分から他人を血祭りにあげる行為に及ばないよう自戒し前向きに生きていきたい。
そんなことを考えさせられたコラムでした。
*ドッジボール人生、でもできれば相手を叩きのめしたくはないですね・・・どうも闘争本能に欠ける所為か戦うゲーム、苦手です (ーー;) 自分との戦いかな?
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