2011年9月6日火曜日

帰ってきた魚屋さん

「可愛い、可愛い、魚屋さん♪」


スピーカーから流れる歌とともにやってくる魚屋さん。
銚子でその日の朝、水揚げされた新鮮な魚介を軽トラックに積んで週に二度近所にやってきていました。


この歌が聞こえるとお財布を持って表に出ます。


ところがこの音を聞かなくなって久しく、やめちゃったのかしらと諦めていました。


今日、ゴミをだしに表に出たら、軽トラックの周りを人が囲んでいました。

あっ! 魚屋さんだ!!・・・お財布を持って急いで向かいました。

以前のトラックより綺麗だけれど、小さい。

聞けば、魚屋さんのおうちは津波で跡形もなく流されたそうです。
袋ひとつと犬一匹を連れて逃げるのが精一杯だったそうです。

家は海岸線から数十メートルのところにあり、黒い大きな波が襲ってきたとのこと。
数日後に自宅の戸袋を山の上で発見した・・・それだけ。

漁師をしていたので、地震の後、すぐに津波がくることを察知し奥さんを先に高台に向かわせ、御自分は車に乗って逃げましたが途中で乗り捨てたそうです。

ご近所でも津波にさらわれた人が何人かいらしたとのこと。
押し寄せる津波に、電柱や木につかまったけれど、津波は襲ってくるときよりも引くときのスピードが格段に早くそして強く、電柱につかまった人も引き波で流されたそうです。

「寒くて大変だったでしょう?」という問いに、「いや、夏の仮設住宅の暑さの方がたまらない。なんせ鉄板で囲まれている中にいるようなものだから・・・」との答え。

避難所には支援物資が山積みになっていたけれど、それらは仮設住宅に移る段になってから初めて「バザー」でお金を出して買うことになったんだよ・・・とぼやいていました。石鹸一個100円とか。

以前、仙台の学生さん達と支援物資を送るときに、「バザーで安く売ることで、めぐんでもらうんじゃない、買う楽しみを感じてもらうことができるはず」という意見もありました。 これにも一理ありますが、ケース・バイ・ケースで対応していくことが大事なのかもしれません。

義援金は配られましたが、150万から200万円ぐらい。 立ち直るにはとても足りないそうです。

被災場所や避難所によっても状況は違うのでしょうが、皆さんの苦労が伝わってきます。

小さな軽トラックには、新鮮な「ひらめ」、「生まぐろ」、「やりいか」、「鯵」、「鮭」。
まぐろのお刺身とやりいか、鯵、鮭を買ったら小さいひらめ3匹をおまけしてくださいました。

お昼ごはんから「まぐろのお刺身」と贅沢をし、夜はいかと鯵をそれぞれ半分をお刺身に。
いかの半分は大根と煮て、鯵の半分は唐揚げに。 ひらめは一匹は煮付けに、残りは塩コショウして唐揚げかバター焼きにします。 このおじさんが持ってくる「塩鮭」は焼いたあと時間がたってもホクホク感が失われません。

みんなが待っていた「魚屋さん」。
以前のように「可愛い魚屋さん」の歌声はきかれなくなりましたが、カランカランというベルを鳴らして今週、もう一回きてくれるそうです。

無事でなにより、仕事を再開できてよかったです。半年かかって一歩、歩み始めたのですね。
早く以前のような生活に戻ることができるように祈っています。

お魚には、頑張っている漁師さんたちの姿、思いを感じます。 大事に、ありがたくいただかなくては。。。 お魚を沢山食べて応援しよう!

/

2 件のコメント:

糸絵巻 さんのコメント...

生きててくれたのですね。

帰ってきてくれたのですね。

持ってきた魚が

すっかり売り切れて

家路につく時は

軽トラックが軽くなる…

よし次も来るぞ…

と胸の中はいっぱいにして…。


美味しい魚を届けてくれる

そのベルの音を聞き逃すことなく

耳を済ませて置かなくちゃいけませんね。


とびきりの魚ですものね。

eleanor さんのコメント...

今まで生きてきた中で、今年ほで深く「生きる」ことを考えた年はありませんでした。

「生」・・・生かされているのか? 生きるのか?

命ってすごい・・・ 生命力ってすごい・・・ 人間てすごい・・・生物ってすごい・・・生きているって・・・感謝です。