2010年9月11日土曜日
傾聴講座を受けてきました。
区の社会福祉協議会共催の「傾聴講座」を受講してきました。
「命の電話」に27年間携わっていらした講師を迎えて、全3回にわたり主にワークショップを中心に「ひと」の話に耳を傾ける「訓練」をします。
頭ではわかっていても、人の話を聴くって結構難しいことだと思っています。
性格や生きてきた環境も影響すると思いますが、まわりを見まわすと自分を含め、人の話を聴くより自分のことを話す人が多くなってきている気がします。 人が話していても気が付いたら「自分はね・・・」ということになっている「私」の欠点が最近気になっていたので参加申し込みをしました。
今日の講座の内容は以下のようなもので、あっという間に2時間が過ぎました。
①
40人の出席者が円になり、一切しゃべらないで生まれた月日の順番に並ぶよう指示されます。
指も使ってはいけないということなので、初めはどうやって推測するのだろうと困惑しました。
12カ月のうち円のどのあたりが誕生月かを目算し、瞬きの回数で隣の人と合図して誕生月を探っていきました。 どなたか一人が目で「合図すること」を始め、それが次々に伝わっていったのです。
月に関してはそんなに間違うこともなく並びかわりましたが、さすがに日にちまで揃えることはできませんでした。中には8月生まれの人が1月生まれの人のグループにまざったりして、なんで~?という感じでした。
こうして、「言葉」というものの大事さをまず身をもって体験しました。
②
2人ひと組になり、お互いに相手に質問をして「ひととなり」を聴きだします。答える方は嘘は無し。
年齢や体重など答えたくないときには、鯖読むのではなく「答えたくありません」と答えます。
お互いの話が終わったら、次は6人のグループに分かれ今話を聴いた人について「他己紹介」をします。
聞いたことを忘れてしまったり、この課題の趣旨を理解せずご自分のことを熱心に話し始めた方もいました(笑)
相手の話を集中して聴かないと「話しの内容が違って伝わる」ことがあることも明らかになりました。
③
最後は三人ひと組になり、「悩みを発言する人」、「聴く人」、「聴く人を観察する人」に分かれます。
「この場は悩みを解決する場ではないので、お金がない・・・とか泣きだすような大変な悩みは無しですよ」 という講師の方の前置きから始まります。
「聴く人」は「うなずき」、「はい」、「そう」、「うん」という限られた反応しかしてはいけません。
観察者は聴く人がそれ以外の反応をしたかどうかを観察します。
今日はここまでで終わり。
私のグループの聴き手は「悩み発言者」の目をみて、よくうなづいて聴いていらっしゃいましたが、言葉を制限されている所為か言葉がすくなくなっていました。(私が観察者でした。)
「なるほどね」って、つい使ってしまいますがどうなんでしょうかと質問したら、「ね」をつけると全肯定になるので「なるほど」までで止めてくださいとのこと。これはわかる気がします。
「そうですね」も多分いけないんだと思います。 「そうですか」はどうなんだろう・・・
この答は来週に持ち越しとなりました。
(「なるほど」は目上の方には使わないと聞いたことがあるので、「なるほど」の使い方についても質問してみたいと思います。)
「聴く」ということ、これは「訓練」が必要だそうです。
したがって授業の途中で先生は白板に書かれた「傾聴講座」を「傾聴訓練」と書き換えられました。訓練無くしては「聴くこと」は出来ないそうです。
地道に日々の生活の中で実践して、もっと人の話を聴ける人間になりたいです。
面と向かっても難しい「聴く」ということ。これを27年に亘って電話で実践されてきた講師の方から学ぶことは多いと思うので次回が楽しみです。
(*)
命の電話はヨーロッパで自殺防止のために約60年前に始まり、日本では約40年前、横浜では30年前から始まりました。 24時間、年中無休でボランティアの方が対応しているそうです。
いつでも、どこでも(日本国中)、誰でも(耳が不自由な方の為にFaxやインターネットでも対応し、外国人の為には現在はポルトガル語、スペイン語、タガログ語で対応。)、何でも(専門分野には法律家や医療従事者、臨床心理士が対応)という考えの元で運営されているそうです。
去年の自殺者が3万2千人・・・自殺を考える人の他、様々な悩みを抱えている人の話し相手、相談相手にもなっているそうです。
私にはとてもできないだろうボランティア活動ですが、せめて自分のまわりの人の心の声を聴きとれる努力だけはしていきたいです。
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